傷だらけの男たち ~誰もが心に傷を持ち、再生する~ [映画]
あの「インファナル・アフェア」からもう5年経った。監督のアンドリュー・ラウ、主演のトニー・レオンがまた男と男の哀しき物語を作り出した。そして今回はアンディ・ラウではなく金城武とのコンビである。
2003年のクリスマス、刑事のポン(金城武)とへイ(トニー・レオン)はバーである事件を追いかけていた。その事件を解決しポンは家に戻ると恋人は手首を切り自殺していた。
そして3年の時は経ち、ポンは刑事を辞め私立探偵をしていたがアルコール依存症になっていた。一方のへイは富豪の娘スクツァン(シュー・ジンレイ)と結婚間近でまったく逆の人生を送っていた。
しかしスクツァンの父が何者かによって殺された。遺産目当ての事件かと思われたが犯人は死体で見つかる。しかしスクツァンは父と仲はよくなくてもよく父のことがわかっていたのでこの事件にどこかひっかかりを感じていた。顔見知りのの犯行だと思ったスクツァンはポンに探偵をして捜査を依頼する。ポンの捜査線上に浮かび上がったのはへイであった。
そして真犯人は見つかるのだろうか?そしてへイの過去も暴かれていく。
パンフを見てトニー初の悪役と書いている。冒頭から刑事として犯人を無表情で殴る姿はいつものちょっとたれ目で優しい表情をするトニーとは別でさすが私のアジアナンバー1俳優たる演技でありました。そんな彼と相対峙する金城君もひけをとらない演技をしていました。アルコール依存で泥酔のようなふりをする演技は下手でしたが香港俳優人の中で見劣りしないレベルです。
我々が認識しなければいけないのは金城君は日本の俳優でアジアに進出しているのでなくアジアの俳優である金城君が日本の映画に進出してきているのだ。
ポンは恋人に死があり、心にキズを持つ。へイは小さい頃にトラウマになるような事件を目の当たりにし、心にキズをもつ。そんな二人がそのキズを抱えながら生き続けなかればならない。ポンはフォン(スー・チー)と出会い、へイは気付かずにスクツァンを愛していた。
「インファナル」シリーズの二人もそうだが悪人はいないのかもしれない。悪の道に進んだものも小さい頃の環境ではそこに進むのが当たり前であってそれがあって大きくなれたのだ。今回もへイは悪役といっているがどこか不幸な過去を観ると判断しかねてしまう。
基本的に誰がみてもトニーが事件に関わってるはずなのだがあえてそれを謎解きのようにいろんな情報を詰め込んでいくので途中、話しがわかりにくくなったのでもう一度観て納得したい気がする。
香港映画ってどうしても男くさいものが多くて女優はさしみのつまって感じに見えることが多いのだが今回のスクツァンは久々に2人の男に並ぶくらいの存在感を魅せてくれています。
パンフにも書いてあるが舞台は2003年からスタートするのだがこの年の香港は「SARS」やレスリー・チェンの自殺。アニタ・ムイが逝去したという閉塞感のある時代である。タイトルの「傷城」も傷ついた町らしく香港人も同じように心にキズを持ち、そして今も生きてなかればならないのだ。
そしてポンは再生する。これは香港も同じように立ち直ることを意味する作品なのでしょうね。こういう作品はこの「インファナル」コンビニ任せれば外れませんね。トニーも「インファナル」とはまったく逆の演技で時に冷たい表情は新たな彼を見れてよかった。
かもめ食堂 ~人生を見つめ直す場所~ [映画]
「すいか」に似た女性が集まり、人生の何かにぶつかり、そこで人と出会い、何かが生まれまた明日も頑張ろうとする。基本的に日本人は3人。すべて海外ロケ。皆素性がよくわからない。微妙なテンポでなにか舞台でも見ているような雰囲気になる。
それぞれが誰かのおかげで生き返り、誰かのおかげで生まれ変わる。ぶすっとしたスコットランド人の女性もいつしか夫がもどって来たときには綺麗になっている。それはかもめ食堂に入ったからである。そんなサチエもコーヒーの入れ方を教えてくれた男やミドリがきていなかったらかもめ食堂は満席になっていたであろうか。
とても自然に演技の出来るメンバーで安心して観れます。そしてたしかこの夏に「めがね」という作品で同じメンバーが揃うそうです。小林聡美はやっぱりいいですね。笑わそうとしていないけどなんか彼女の行動を見ていると微笑んでしまう。「転校生」の頃のやんちゃさだけではなくいろんな作品で魅せる彼女ってそんな大きな違いはないけどマンネリ化することはないんですよ。不思議ですねぇ。
LOFT [映画]
黒澤+中谷+豊川というトリオがくんだから期待ワクワクだったのですが何かがここで起こるのかと思いきや何も起こりません。あのミイラは何?安達祐実は何?とわからないまま話しは進んでいき真相もはやばやとわかってしまいます。知り合いの人から最期に驚くことが起こるからちゃんと観て下さいと言われていたので最後に何かあるなと思ったら案の定オチがありました。でも知っていたのでそんなに驚くこともなく終わってしまいました。
関係ないけど前はあまり気にならなかった中谷美紀さんですが「嫌われ松子の一生」や「力道山」などいろんな映画を観ているうちにとっても綺麗だなと改めて思いましたね。豊川悦司さんは私の中では浅野忠信と並ぶいろんな映画にでている俳優だなzぁと感じる。
ビデオで日本映画を借りれば3本に1本くらいは豊川悦司か浅野忠信かというくらいの出演率であります。
後は安達祐実が幽霊で出てくるのですがある意味インパクトはあるのですが演技力の必要はありません。ほとんど話すこともなくふらぁ~っと現れるとなんか童顔でなんか大きな人形を観ているようです。
まあ良い作品を作る監督は期待されるわけでただそれが売れる作品を作ろうとするのか自分の作りたい作品を作るのかなんでしょうね。今まで何回か黒澤作品を観ているのですが今回のはちょっと?がつくような作品に思えました。期待しすぎるのもだめなのかもしれませんね。
転校生 さよならあなた ~監督の優しいまなざし~ [映画]
大林宣彦監督の「転校生 さよならあなた」を鑑賞してきました。25年前に大林監督の出世作にもなった尾道三部作の第1作のリメイクである。その時の主役である小林聡美と尾美としのりは今では有名になったがその時の演技もエネルギーがあってとてもおもしろかった。
そして今回は尾道ではなく長野を舞台に新しい「転校生」が作られたのだ。斉藤一夫(森田直幸)は離婚した母(清水美砂)とともに長野に転校する。その学校には幼なじみの斉藤和美(蓮佛美沙子)と再会する。二人は小さい頃になかよかったのだが一夫の方はあまり覚えていなかった。
蕎麦屋の娘の和美の所に顔を出した後、さびしらの水場に訪れる。そこで二人がその井戸に落ちてしまう。そしてそれぞれが家に戻ると自分たちの体が入れ替わっていることに気付く。
そして互いが相手の家庭で生活をしていく中、それぞれの本当の生活を知り、互いを思いあうことができるようになっていく。しかし、そんな中、和美の体調がおかしくなる。和美は余命2~3ヶ月と診断される。体は入れ替わったまま、一夫は和美の中で死んでいくのか?元通りになるのだろうか?
結末が全作と全然違う。前回の二人は互いに男性女性を演じ分けていたが今回の二人はまだ新鮮というか手あかにまみれていないので最初は演技力が気になったのだが大林マジックというのか若き二人が活き活きと演技をしている。
大林監督作品の要素は「美少女」「ピアノ」「死」そして「大林組の常連」が含まれている。今回の蓮佛さんも彼女なりに男性を演じ最後は死に直面し、さらにピアノを弾いて歌もうたう。過去も原田知世、石田ひかり、高橋かおりなどいろんな美少女を撮ってきたがあの優しい笑顔に女優は自然に演技ができるのでしょうね。
そして「常連組」は多くの大林映画の俳優はずっと大林作品に出ている。(主役級はのぞいて)今回はまず和美の恋人役に厚木拓郎(彼は子供の時に「あの夏の日 とんでろじいちゃん」で主役を演じていた)、学校の先生に石田ひかり(「ふたり」では主演でした)、さらにちょい役だが根岸季衣や高橋かおりなども必ずといっていい程出てくる。まるでウォーリーを探せのようにあの人は出ていないかなと気になりもするのだ。
最近の「理由」や今回の「転校生」と同時期に作った「22才の別れ」(これは大分三部作の2作目<1作目は「なごり雪」なんですけどね)に出演している人たちも出ておりこれからも大林作品にちょい役で出てくるんでしょうね。
大林映画には悪人は一人もでてこない。みんないい人たちなのである。だから観ていて優しい気持ちになれる。さらに自然が美しい。さびしらの水場はあえて作ったものらしいがそれ以外の風景はとても尾道にも似ているような(坂がないだけ)住みたいなと思うような情緒があるのだ。
監督は街を商業地にしたいのではない。ロケ地めぐりをするにもここがこの場所ですよって目印つければ誰でもすぐに判るのだが監督の作品のロケ地は街の中にとけ込んでいる。それを訪ねる人々が映画のワンシーンから切り取ることができる。その瞬間が楽しいのだ。
いつも大林映画に関わる「死」。今回は若者が死に直面して「生」を知り執着する。そしてその思いを行動に移し、15才の冒険が始まるのだ。そして彼らが導き出した答えは。後半の若者たちの頑張る姿を見ているとなんとなく涙が出てきてしまった。これも監督の優しさが出ている。子供達の演技力というか普段力を引き出す監督のうまさが出ていると思います。
前回の「転校生」とはまた別物で考えるべきでしょうね。両方ともよいと思いました。
君に捧げる初恋 [映画]
愛と死の間で [映画]
愛と死の間(はざま)で スペシャル・コクレターズ・エディション
- 出版社/メーカー: パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
- 発売日: 2007/01/26
- メディア: DVD
アンディ・ラウの映画は何度かこのブログで書いてきたのだが多種多様な作品に出演している。「インファナル・アフェア」「墨攻」のように演技で魅せる場合もあれば「マッスル・モンク」や「ダイエット・ラブ」のように着ぐるみで演技することもある。本当に何でもこなす俳優さんです。
医者のコウ(アンディ・ラウ)は愛する妻(シャーリーン・チョイ)を事故でなくします。彼女はいつも仕事で遅くなった彼を待っていた。そんな彼女に甘えていたコウだった。
そして久々に食事の約束をしたがまたドタキャンするコウ。いつものことと寂しく思う妻は駐車場を出るときに車にぶつかり重体になるのだ。
妻の看病もかなわず亡くなってしまい、コウは内勤から救急隊員として最前線にでる。そしてそこで事故にあったユンサム(チャーリー・ヤン)が心臓移植をしていることを知る。それは香港ではコウの妻くらいしかいなかった。彼女の心臓がユンサムに移植されたことを知るのだ。
そんなユンサムはコウと瓜二つのデレク(アンディの二役)と結婚していたが派手なファッション業界で働いておりすれ違いも多かった。女性にも人気があったため、心臓の弱いユンサムは情緒不安定になりデレクを信じれなくなり彼は出て行くのだ。
残されたユンサムを知り、妻の心を持つ彼女の側にいることを決意するコウ。デレクのふりをして彼女の前に現れるのだ。
香港映画にしてはと言うと失礼にあたるかもしれないが心と心をつなぐ物語として作り出されている。ちょっとできすぎた話ではあるがなくしてみて気づくこともあるものだと知る。そして妻にできなかった事をユンサムを通してやり直そうとする。ユンサムもそんなことを知らずに戻ってきたデレクと生きられる今を過ごそうとする。
その行為がユンサムにも伝わり、最後に妻からの言葉を得ることができるコウ。日々に追われ愛するものを失うつらさ。そしてユンサムも愛するがゆえに愛する人を失う姿。コウが代わりだと知らず戻ってきた彼に喜びとまどうも弱った心臓でなんとか生きようとする姿は美しくもありはかなくもある。愛って難しいものですね。
アンディの一人二役はちょっとどうかと思うのですが硬軟自在な彼は昔はチンピラの兄貴という感じの役が多かったが最近はこういう静の演技もこなせるのだ。でも着ぐるみもOKというところが彼の良さなのかも知れない。
アンソニー・ウォンも出演しておりちょっとした大物俳優が出ていてビデオ屋で見るまで知らなかったのがちょっと悔しいですね。
逆噴射家族 ~現代を見透かした家族物語?~ [映画]
古い映画だけになつかしく感じましたね。工藤夕貴の女子プロレスラー姿などレアである。そして今は亡き植木等さんもちょっと脳天気なおじいさんを演じている。息子の有園芳記も今では「風林火山」などでバイプレーヤーとして出演しているがこれまた若い役を演じているがおじさん顔なのは今も変わりない。
しかし最初に書いた物語だと殺し合うというドロドロしたシーンはまったくないのだ。おかしくなった家族だが皆があと一歩の所で相手を倒すことはできないのだ。そして時には殺されそうになる家族を助けるのだ。そして最後は彼らが殺し合いをやめ、住んでいる家を壊し始め再生を誓うのだ。
今時こんな映画を作ったらあってもおかしくない時代になっているがこの当時のこの作品のぶっとび度は観ていなかったのだが題名でとても有名だった記憶があった。
それぞれが皆若くほとんど「ベストヒットUSA」でしか観たことのない小林克也がスーツ姿で笑うこともなく大きな顔で大暴れしている姿はとても新鮮であった。
家族というものの本質を問うた先見性のある作品だったと考えるべきなのか荒唐無稽な映画だったのだか観る時代によって変わってくるに違いない。今の時代では普通に観れる映画だがでもこの映画のラストは変だとも思うのだがしかし現代の家族崩壊とは違う前向きな結末といえるのかもしれません。
パッチギ! love&peace [映画]
井筒監督の「パッチギ!」の続編を観に行ってきました。
物語は前回の話しの後の話しなのだが主役は皆変わっている。アンソン(井坂俊哉)は息子のチャンス(今井悠貴)が筋ジストロフィーにかかっておりいい病院を探すためにも京都から東京に引っ越していた。妹のキョンジャ(中村ゆり)も東京にきて焼き肉屋でバイトしていた。
アンソンは国鉄の駅で朝高生と日本の学生とのけんかに巻き込まれ、運転手の佐藤(藤井隆)と出会う。しかし、佐藤はその学生の一人のケガが責任でクビになってしまう。一方でキョンジャは焼き肉屋で芸能界事務所に声をかけられライトエージェンシーに入る。それは世間知らずの自分の冒険でもあり、チャンスのためでもあったのだ。
そしてチャンスの病気は悪くなりどこの病院でも検査検査であった。そして筋ジスの最先端技術をもつアメリカにいくことも考えるがお金なんてない。そしてアンソンはある筋から紹介された店である仕事を頼まれ、佐藤とともに玄界灘に向かう。
一方キョンジャは芸能界に足を踏み入れる。事務所の強さで同じアイドルでも待遇の差があった。でもそんなことを気にせずキョンジャは青山涼子という名前で頑張っていく。そして野村健作(西島秀俊)と恋におちる。それからも彼女は映画のオーディションを受けるが朝鮮人ということでおろされてしまう。
野村もキョンジャのことは好きだが今を楽しむだけである。キョンジャとしては朝鮮人ということを芸能界でも野村にも知ってもらった上で頑張りたかったが現実は厳しかった。そして映画プロデューサー(ラサール石井)と関係をもち、ヒロイン役を勝ち取る。
アンソンは危ない仕事で金を稼ぎながらも妹が芸能界でボロボロになることを気にしていた。そして映画の完成試写会でキョンジャは告白する。映画は戦争を美化するものであり、キョンジャの父も戦争から逃げて生きたのだ。そのおかげでアンソンもキョンジャも生まれたのだ。
そして試写会場は朝鮮人に対する非難とその中で生きる江東区枝川の人々がそれぞれの思いをパッチギにこめ戦うのだ。
前回は1968年の京都の話しで今回は6年後の話しで東京が舞台である。前回は高校生が主役なのでそのケンカにあけくれる毎日とそこに恋もする青春の疾走感のあった物語で面白かったのだが今回はもう主役達もケンカにあけくれているわけにはいかない。
彼らは違う国で住み、働きいている。そこには制限があり、どうしてもそのパワーは鬱屈してしまう。そんな中、まともに生きたいのにチャンスがこんな小さいのにサッカーさえすることができない。こんなおれがかわってやりたいのに・・・・。キョンジャもただ一生懸命働き、恋をしたいだけなのにつらい思いをしなけらばならない。
でもそんな中生きていく姿を描いているのだがどうしても感情を移入することができなかった。アンソンの物語とキョンジャの物語も分離しており、最後に絆が結ばれるのだがどうしてもしっくりこなかったような。藤井隆もどうしても彼のキャラがたってしまうのでこのパッチギは手あかのついていない新人の方がいいんですね。
「1」でもっていたパワーだけでは年を重ね社会に出て行くと通用しない。そんな中で生き抜いた父の思いをもち、生き抜こうとする彼らは共感は持てる。日本がお国のためにといっているがたしかにその当時の人は本当にそう思っていたのかも知れない。でも本当は戦争は不要であり、人が生きることが大事なのだ。
その部分では枝川の人たちの方が濃い人生を送っているに違いない。でも最後は暴力でしか解決しないのはいかがなものなのでしょうか。タイトルがパッチギだから仕方ないのだろうけど「1」から大人になった「パッチギ」の表現方法はなかったのだろうか?すこし残念な気がしますね。